塩サバ通信が面白い

ジャズには聴く楽しみも、演る楽しみもありますが、読む楽しみももちろんあります。 私も活字ジャズファンな側面がありまして、けっこうジャズ本は読みまくりました(今でも読みまくってます)。 本のみならず、ジャズのサイトめぐりも楽しいものでして、「読むジャズ」という独立したジャンルを確立しているんじゃないかと思われるサイトが「塩サバ通信」でしょうね。 ⇒こちらです。 …

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ジョン・ゾーンは、日活ロマンポルノのマニア

日本への滞在が長いこともあってか、アルトサックス奏者のジョン・ゾーンは、かなりの日本通として知られている。 なかでも、日活ロマンポルトにははまりまくっていたそうで、 ポスターもコレクションしていたとか。 また、NYの「ニッティング・ファクトリー」にて日活ロマン・ポルノの上映会も行ったこともあるというのだから、彼のマニアっぷりはかなりなものだということがうかがえる。 …

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排他的ジャズファンに陥る危険性

一般にジャズは聴けば聴くほど、好みは狭くなってゆく。 たとえば、熱烈なブルーノート好きが、熱烈なECMマニアでもあるというような話は聞いたことがない。 つまり、少しずつ自分の好みのエリアが定まってくるということだが、自分の好きな分野を偏愛するあまりに、他のエリアの音や、ファンに対して排他的な言動をとることは慎みたい。 またジャズは知れば知るほど、聴けば聞くほど、読め…

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秋吉敏子の言葉

「ジャズはソシアル(社会性のある)・アートであるとわたくしは思うのです。共演する相手次第でうまくなる。当時、これ以上日本にいては、小さな井戸のなかの大きなカエルのままだと思い、ぜひアメリカに生きたいと思ったのです」(秋吉敏子) (中川ヨウ『ジャズに生きた女たち』より) ジャズに生きた女たち/ 中川ヨウ

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エラ・フィッツジェラルドの輝かしい実績

「ファースト・レディ・オブ・ソング」と呼ばれたエラ・フィッツジェラルドは、六十余年にわたる音楽活動で、二百枚以上のリーダー作をレコーディングしました。グラミー賞受賞は、驚異の十三回。アメリカが誇るクラシックの殿堂、カーネギー・ホールへの出演回数も二十六回を数えるのです。 (中川ヨウ『ジャズに生きた女たち』より) ジャズに生きた女たち/ 中川ヨウ

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ビリー・ホリデイは、エラとサラ、どちらを可愛がったか?

後進におよぼした影響という点では、エラとサラが同列一位でしょうか。エラとサラは、正反対の気質をもっていました。たとえばビリー・ホリデイは「偉そうな」サラのことは生涯嫌い、「おとなしい」エラを(うらやむことなく)可愛がりました。 (中川ヨウ『ジャズに生きた女たち』より) ジャズに生きた女たち/ 中川ヨウ

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ビリー・ホリデイの少女時代には脚色がほどこされていた

近年リンダ・クウェールやドナルド・クラークらの精力的な研究によってわかったことなのですが、ジャズ・ファンが信じてきたそのビリー・ホリデイの少女時代には、脚色がほどこされていたのです。それは自伝が、ウィリアム・ダフティという大衆紙の新聞記者によって代筆されたことによります。悲劇の色を濃くすることで、センセーショナルな話題をねらって書かれたのです。もちろん、ビリーはそのことを承知しており、という…

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指導者的立場でもあったメアリー・ルー・ウイリアムス

(メアリー・ルー・ウイリアムス)のハーレムにあったアパートは、サロンの様相を呈していました。彼女の音楽に関する広い知識や意見を求めて、その後ビ・バップの創始者になるミュージシャンたちが、しょっちゅう集まっていたのです。彼女が「サロン」の客に選んだミュージシャンは多くはありませんでしたが、ディジー・ガレスピー、セロニアス・モンク、バド・パウエル、タッド・ダメロンと、次世代のジャズを担う人が常連…

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マリリン・モンローはエラのファンだった。

マリリン・モンローが、エラの大ファンだったことを知る人は、今はもうあまりいません。 “格式あるクラブやコンサート・ホール”の一つ、当時人気を集めていたクラブ、「モカンボ」。エラは、マリリン・モンローのサポートで、同クラブに出演した最初のアフリカン・アメリカンになりました。 (中川ヨウ『ジャズに生きた女たち』より) ジャズに生きた女たち/ 中川ヨウ

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