パウエル最後のアルバム『リターン・オブ・バド・パウエル』

バド・パウエル最後のスタジオ録音作品が
『リターン・オブ・バド・パウエル』です。

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まるで自身の死を予期していたかのように、
長らく活動拠点としていた欧州から
ニューヨークに戻り、
何枚かの吹き込みをしますが、
その中のでも最後の録音となるのがこの作品です。


出だしの1曲、
《アイ・ノウ・ザット・ユー・ノウ》。

うーむ、ピアノのフレーズの一音一音が、
まるで進行していく時間から、
ポロポロと抜け落ちていくよう。

かなり危なっかしいです。


《グリーン・ドルフィン・ストリート》も、ゆったり目のテンポはいいのですが、そのゆったり時間にピアノの音が浸かりすぎてテンションがゆるゆる。

うーむ、これもかなり調子が悪い演奏ですね。


バド・パウエルは絶頂期を過ぎた後記になると、衰えが激しいと言われてはいますが、そうとも限らないアルバムもあったりするわけで、たとえば、この『リターン・オブ~』の前に録音された『ブルース・フォー・ブッフモン』などは、かなり溌剌とした陽のオーラが感じられる内容で、ピアノの音もピン!と立っています。

好不調の波があるんですね。

残念ながら『リターン・オブ~』のほうは、好調か不調かと問われれば「不調」側の演奏だと思います。

しかし、それだけではすまされないパウエルにしか出せない音の磁力というべきものもあるのですね。

危なっかしい演奏は、聴いていてハラハラします。
このハラハラ感が、イヤがおうでも耳を引きつけてはなしません。
最後までピアノの音を追いかけてしまいます。

危なっかしい演奏ゆえ、音の粒もバラバラだったり、
そもそも、昔からバドのピアノは絶頂期のときも一音一音が均等ではありません。
暴力的なほどの強い「バド時間」が流れているのです。
フレーズの中に不整脈のようなものがあるんですね。

だから、聴いているほうの呼吸も
いつしかバド呼吸に引きずり込まれ
日常的な呼吸じゃなくなるんじゃないかと思います。

いわば、特殊体験。

だからこそ、パウエルのピアノは、
絶頂期から晩年まで、
神がかりなテクニックであろうが、
指がもつれてヨタヨタしていようが、
独特な「音の呼吸」に引きずり込まれ、
いつしか聴き手もその呼吸の波にシンクロしてしまい、
演奏の出来不出来に関係なく、
「気になる」
「また聴きたくなる」
という症状を呼び覚まされるのではないかと思うのです。


もちろん、この最後のレコーディングの演奏にも、
脈々とバド時間は流れているのです。

だから、ヨタヨタした演奏でありながらも、
「なぜお世辞にも素晴らしい演奏とは言い難いのに、また聴きたくなるのだろう」
となるのでしょうね。

彼の先輩のセロニアス・モンクも独特なタイム感覚の持ち主ですが、モンクが有する「モンク時間」は、かなり意識的というか理性的なものを感じる。

その一方で、パウエルの「時間」は、どこまでも天然。
だからこそ、キャリアを通して演奏スタイル(というより演奏アプローチ)が少しずつ変化しているにもかかわらず、どの演奏からも不穏な呼吸が感じられるのでしょう。

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