Wynton Marsalis『Standard Time vol.1』評


先日のブランフォードに引き続き、本日は弟のウイントン・マルサリスのアルバム。

彼を代表する1枚『スタンダード・タイムvol.1』。

今から24年前の録音ですが、本日2010年9月24日も録音された日の1日。

スタンダード・タイム Vol.1

スタンダード・タイム Vol.1

  • アーティスト: ウイントン・マルサリス,マーカス・ロバーツ,ボブ・ハースト,ジェフ・ワッツ
  • 出版社/メーカー: ソニーレコード
  • 発売日: 1999/12/18
  • メディア: CD



このアルバムは、いつ聴いても新鮮で瑞々しい感覚をたたえた4ビートジャズだと思います。特に《枯葉》のリズムチェンジの巧みさは、今聴いても新鮮。

涼しくなりはじめたこの時期、スリリングなウイントンの《枯葉》を聴くのもまた一興かもしれませんね。


この記事へのコメント

  • びっくりモグラ

    はじめまして。一音楽愛好者です。昔は下手なジャズベースを、「騒音」のほうがたじたじとなるほどの「自我」を撒き散らして歩いたものですが、今は、そのことすらも懐かしく、時折、不意によみがえったりもします。罪作りの性分は今でも直りません。音楽の中でもとりわけジャズは「裸の自我と自我がぶつかり合う、」という意味で他のジャンルには見られない「人間の素」を露にする芸界で、聴く側も演ずる側もその丁々発止の奇天烈をひそかに期待しつつ足を運ぶのだろうと思います。
     日常のダル、という『蔓』に縛られた自己を、束の間でも解放できうる楽しみを見つけに誰もが出かけたものですが、どうも最近はその「気付け薬」も効果が薄くなっているように感じています。おそらく、その一番の要因は、僕自身の探求力、といいますか、加齢によるパトスの摩滅、であることは間違いないありません。ゆえに、自己表現の才能を日夜磨いている表現者たちに文句を言う筋合いはまったく無いのですが、ただ、少し気になっていることがあるのです。
     それは、年々『優等生』が増えつつあることです。減点方式でできるだけ、技術上の欠陥を少なくする方向を目指そうとする姿勢そのものは否定されるべきではありませんが、しかし、聴き手に『巧さ」のみ印象付けるプレイヤーが多くなっていることが気になっています。内外のプレイヤーに共通する若手の俊英たちにこの傾向が際立っているように思います。
     時代背景がそれぞれの土壌にあった表現形態を生む、などという陳腐なことは言いたくないのですが、しかしまったく時代の雰囲気と無縁でないような気もします。
     聴き手のうちの幾らかは、表現技法の卓越を楽しみにしているだけでなく、その物語を語るうちにジワッと染み出てくる表現者の、いわばアブストラクトされた肉声に魅入られることをも期待してドアを開けるのです。
     あるいは「理論の構築」の完璧を聞きにくるわけではない。表現者には欠かせない学習であろうし、不断に技術と理論の発展は必須ではあるが、もろに眼前でそれを見せ付けられても、驚きはするが、感動はしない。
     自分にしか言えない物語は多分、音楽の形式自体からでなく、音楽の外で形成される。そして諸々の、ありとある内的な声を音楽という手段で吐き出す。
     そうした音楽にめぐり合えたとき、何かとっても得をした気分になるものだが、機会は多くない。
     ぼくにとって、内外を通じて惚れた表現者は入るし、それに倍する、嫌いなジャズプレイヤーもいるが、名前は挙げない。、個人の主観的な好悪を具体的に例示する、という愚を犯し、毀誉褒貶が趣味の人物と思われたくないので。
    2010年09月24日 23:37
  • びっくりもぐらさん

    こんにちは。

    >時代背景がそれぞれの土壌にあった表現形態を生む、などという陳腐なことは言いたくないのですが、しかしまったく時代の雰囲気と無縁でないような気もします。

    私もそう思います。
    2010年09月25日 09:16

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