放送第42回『アート・ブレイキー・アンド・ジャズメッセンジャーズ』(3)

ミュージックバードに加入されていて、
なおかつ、プログラムガイド誌も購読されているリスナーの皆様、ごめんなさい。

今月のプログラムガイド誌に掲載されている私の連載、『高野雲の快楽ジャズの素』には、以下のテキストを書いたんですよ。


今回私がマシューズさんにどうしても訊いておきたかった質問がひとつありました。
それは、まったくグループのサウンドの方向性やカラーの違うマンハッタン・ジャズ・クインテットが、なぜ、ジャズメッセンジャーズのナンバーを取り上げたのか? ということです。
特にドラマーのリズム感の違いは水と油ほどにも違います。
ブレイキーのドラミングは、豪快。下半身が踊りだすほどにリズミックなリズムを奏でます。一方、マンハッタン・ジャズ・クインテットの現ドラマーのビクター・ルイスは、俊敏でスピード感のあるタイプのドラマーです。ビクター・ルイスに限らず、先代ドラマーのスティーヴ・ガッドや、一時的に所属していたピーター・アースキンも柔軟性とスピード感が持ち味のドラマー。まったく個性の異なるドラマーがマシューズさんのお気に入りのようですが、個性の異なるドラマーにブレイキーのナンバーを演奏させることにマシューズさんはどう考えているのか?
ちょっとイジワルな質問だったかもしれませんが、微笑みながらマシューズさんは、単純明快な回答をしてくれました。(これも放送までのお楽しみ!)


アート・ブレイキーとスティーヴ・ガッド(あるいはビクター・ルイス)とでは、まったくタイプの違うドラマーです。

鉄道でいうと、蒸気機関車と新幹線ぐらいの違いがあります(笑)。

つまり、ブレイキーとはまったく違うタイプのドラマーに、ブレイキー・レパートリーやらせることの意味は? その言葉の裏には、単に音楽性云々よりも話題性を先行させているんじゃないですか? という意味も込めた質問だったのです(笑)。

で、収録のときには、質問をし、回答もいただいたのですが、どうも時間の関係なのか、前後のバランスの関係なのか、同録を聴くとその箇所がカットされていたんですね。

なので、プログラムガイド誌で予告をしておきながら、結論を得られていないリスナー読者は、「あれれ?」と思っているはずです。
ですので、今回は、こちらに私の質問に対してのマシューズさんの回答を掲載しておきます。

もっとも、収録が行われたのは、4月。
もう3か月近く前の話なので、細かな内容までは覚えていず、大まかな骨子のみになってしまうこと、ご了承ください。


「ハハハ(と笑顔で)。ブレイキーのドラミングはその時代には最良のドラミングでした。最良のドラミングで最良の演奏が、まさにその時代になされていた。しかし、私たちがバンド(マンハッタン・ジャズ・クインテット)を結成した時代には、ブレイキーのようなタイプのドラマーはいなかった。私はなによりもフィーリングを大事にしています。バンドを結成する際、私がもっとも重視するのがフィーリングです。その時代(MJQを結成した時代)に、私のフィーリングにもっともかなった素晴らしいドラマーが彼(ガッド)だったのです。」

このような答えでした。
新譜のドラマーはビクター・ルイスですが、彼も同様で、リアルタイムで、マシューズ氏のフィーリングに合ったドラマーこそが彼だったのです。

ま、考えてみれば、ブレイキーの曲をやるのに、ブレイキータイプのドラマーを探して演奏させなければいけない、なんてことはないわけで。

タイプ違うドラマーでも、演奏内容がよければそれでいいわけですからね。

ただ、デン!と腰の据わったブレイキーのドラミングで演奏されたナンバーを聴いた後に、スピード感重視タイプのドラマーが奏でるブレイキーナンバーを聴くと、やっぱり軽く感じてしまうんですよね。私は。

この軽やかさをどうとらえるかは、それぞれ受け手の好みの問題でしょう。

もっとも、軽くなったことが、これすなわち「悪い」という意味では決してありませんので。

名曲は時代を超えてカバーされるものですが、だいたいカバーされるときのアレンジは、その時代の空気感にあったアレンジですからね。

最近も、『婚活』というドラマのエンディングで、シュガーの名曲《ウェディング・ベル》がpuffyによってカバーされていましたが、私はpuffyのバージョンも、かなり好きです。

SUGARのバージョンは、甘さと自虐的なコミカルさのオブラートに包まれた毒の表現と、エレクトーンで演奏したくなるようなアレンジが絶妙にマッチしていて、今聴くと、80年代の空気を濃厚に感じますが、21世紀にカバーされたpuffyのバージョンは、もっとアッケラカンとしたサバサバ歌唱。「人生における重要な出来事のひとコマ」というニュアンスはほとんど感じられません。「あるイベント会場での、ある出来事」ぐらいの軽やかさ。

これって、「人生かかっている感」の有無かもしれませんね。



1980年と2009年とでは、若者が「結婚式」というイベントにおく価値と重さは微妙に違うのかもしれず、そうすると、やっぱり時代とともにアレンジや音のスピード感というのは変化して当然なのかもしれないな、と思っています。

1958年と2009年という、50年の時を隔てた《モーニン》も、これまた然りですね。(でも、私はやっぱりブレイキーの本場のバージョンのほうが好きだな~)

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