放送第29回 スコット・ラファロ(2)~手癖の回避

まずは昨日の補足です。

ジョン・ルイスの『ゴールデン・ストライカー』の《ジャンゴ》ですが、ギターはジム・ホールです。

書き忘れ、書き忘れ。
申し訳ない。



この回にゲスト出演してくれたtommyさんは、ご自身のブログに
“そ「自分がやらなくてもいい」という判断が出来るのは「究極のクリエィティブ」だと思うんだよね。”
と書かれていますが、私もそのとおりだと思います。
▼トミーさんブログ
http://ameblo.jp/tommy-tdo/day-20090419.html


以前、ビリー・ホリデイ特集の際にゲスト出演していただいた金田さんもそのタイプですね。

彼はデザイン事務所の社長にして、アート・ディレクターでもあるのですが、彼は一切マックのマウスには触らない。

いや、やろうと思えば出来る人なのではあるのですが、「頭」と「手」の役割分担を明確に考えている人なのです。

つまり、コンセプトやイメージを考えるのが自分の仕事と割りきり、実作業はデザイナーの社員にやらせている。

自分は、作業をしているデザイナーの後ろに立ってマックのモニターを観察しながら、あれこれ指示を出すだけ。

この考え方は、ミュージシャンの楽器演奏にも通じるところがあって、クリシェ(手くせ)に陥り、結果的に似たりよったりの作品を生み出す危険性を回避するひとつの手段でもあるのです。

どういうことかというと、たとえば、BOZOのリーダー津上研太さんはサックス奏者ですが、作曲はピアノで行っているということを例にあげてみましょう。

研太さん曰く「自分の得意な楽器で作曲をしてしまうと、どうしても演奏しやすい方向性、手くせの延長線上の曲が出来てしまう。だからピアノで曲を作るんだよ。ピアノで曲を作った後で、サックスで吹いてみると、めちゃくちゃ難しいことがある(笑)。」

このようなことを、先日収録のときに仰っていたのですが、まさに「手くせの回避・惰性の打破」は表現者には常につきまとう課題なのです。

仮に金田さんが自分のイメージを自分でマウスを操作してデザインしてしまうと、きっと自分のやりやすい方向性に無意識に引力が働いてしまう。
自分の色やクセがデザインにどうしても出てしまう。

だからこそ、パソコンを操作するクセを身体に染み込ませないということも「惰性からの回避」のひとつの手段なのです。

これは、セロニアス・モンクの曲をやりたがるジャズマンが多い理由にもつながります。


monk.png


寺島靖国さんは、私が「PCMジャズ喫茶」にゲスト出演をした際に、ジャズマンがモンクの作品集をやりたがるのは一種の「ハク付け」だというようなことを(そしてモンク作品集は売れないとも)、仰っていましたが私はそれだけではないと思う。

もちろん、今ではセロニアス・モンク・コンペティションなるものも催されているので、「モンク」というのは一つのブランドになっていることはたしかですが、自分のハク云々にこだわるジャズマンばかりではないと思う。

それは、クリエイターとビジネスマンの発想の違いでもあります。
ビジネスマンは常にやったことに対しての「見返り」や「回収」を考えます。
投資効果、投資効率を考えることこそがビジネスマンの仕事ですから、それは悪いことではない。逆にそれが出来ない人は、いつまでたっても給料泥棒でしょう。

しかし、表現者というのは必ずしも、労力のコストパフォーマンスを考えているとは限らないのです。

わかりやすく言ってしまえば、仕事の価値基準でもっとも優先すべきは「面白いか・つまらないか」。

どんなに高額なギャラでも、つまらなそうだったら引き受けないし、仕事相手や担当が嫌いな人だったら気分がのらない。
逆に謝礼程度のギャラでも面白そうな企画だったら引き受けることもある。

これは作家にもいえていますね。
大御所になればなるほど、アプローチする際は、今までにない企画を持ち込んで相手をビックリさせるぐらいのほうが、たとえ少額ギャラでも引き受けてくれる確率が高い(過去に何度もそのような経験をしてきました)。

このように、ミュージシャンは、自分で自分に驚きたいのです。
自分に驚くこと、これすなわち「面白い」ことなんです。
惰性・マンネリ、これすなわち「つまらない」こと。(クリエイティビティの無い人はその逆ですが)

そして、モンクの曲には惰性を打破する驚きと仕掛けがいっぱい。
平凡なツーファイブ進行のスタンダードの流れが染み込んだ指が、次に動こうとする運動にストップをかけ、ハッとさせる和声、符割、旋律の宝庫なのです。

ちょっと余談になってしまいましたが、常に自分自身をもハッとさせるようなクリエイティビティを保ちたいのであれば、なにからなにまで自分でやってしまうよりも、自分のアイデアを優秀な人たちに振ってしまって、自分色に染めずにふくらませていったほうが思いもかけない素晴らしい作品が出来上がることもある。

アート・ブレイキー、マイルス・デイヴィスなど優秀なバンドリーダーはそのような資質の持ち主でしたね。
方向性は示唆するし、タズナは握るけど、部下に任せるスペースを広く設けている。

結果、部下も育つ。

表現の本質のみならず、表現の拡大発展のさせ方をも「分かって」いたんでしょうね。

そして、自分はプロデュースに専念して、さまざまなタイプの違うジャズマンを組み合わせ、演奏させたジョン・ルイスも「分かって」いるジャズマンの1人だったのでしょう。

ルイスはラファロにどこまで指示を出したのかはわかりませんが、きっとラファロはルイスの意図を汲み取り、きっとルイスのイメージ以上の働きをしたのではないかと思います。

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