放送第30回 フレディ・レッド特集(2)

今回フレディ・レッド特集で、彼の「せつなさのスパイス」として、メジャーセブンス系のコードの使い方のセンスについて言及しました。

簡単にいえば、ルート(コードの一番根っこになる音)から長7度(7番目)の音を重ねた和音で、このコードの響きを「しんみり」「しっとり」としたニュアンスで受け止める人も多いと思います。

レッドが作る曲は、躍動的な部分と、しんみりとした部分が露骨に分かれていることが多く、「ここぞ!」というところに、ベタにメジャーセブンス系の響きを持ってきます。

この匙加減は、ベタなくらいに分かりやすく、私にとってはそこがツボだったりします。

メジャーセブンス系のコードは特に珍しいコードではありませんし、難しいコードでもありません。古いスタンダードでも使われているコード。

ただ、この響きの使い方でずいぶんと作曲者のセンスがあらわになりますね。

移りゆくハーモニーの推移の中で効果的に使用される場合と、レッドのように「ここぞ!」というところに投下する場合とでは、当たり前ですが随分と印象は異なりますし、まさにこのコードをどういう意図で使うのかが作曲者のセンスなのでしょうね。

《サンフランシスコ組曲》の冒頭の躍動的で跳ね気味のメロディの直後に、効果的に使用される和音の響きは、明らかに「さあここで気分をガラリと変えてシンミリしてくださいね」という落差を意図的に用意された箇所です。



逆にいえば、このしんみりした響きを活かすために冒頭の旋律を単純明快で躍動的なものにしたのかもしれません。

私はメジャーセブンス系のコードの響きは大好きです。
高校、大学の頃は、ピアノでオリジナル曲をたくさん作って遊んでいましたが、メジャーセブンス系のコードを多用していた記憶があります。

しかし、ジャズにおいては、ポイントとなるところでさりげなく使用してこそ生きる響きだとも思っています。
曲のムードを左右する独特な響きゆえ、サックス奏者の松風鉱一氏が「若いころはメジャーセブンス系のコードは(軟派に感じて)やるもんかと思っていた」というようなニュアンスで語っていたインタビューを昔読んだこともあります。

その気持ち、分かります(笑)。
躍動感、エネルギー感も重要なジャズにおいては、あまりに「しんみり」とした要素が多いと、聴いているうちに(演奏しているうちに)次第に甘美な微毒におかされていくようで、気づかぬうちに腑抜けた自分になっていくんじゃないかという気分は確かにあるかもしれない。

と同時に、幸せに呆け、恍惚のヒトになってゆくんじゃないかという幸せな期待感、そして甘美に堕ちてゆく快楽を享受したい気持ちと、いや、俺はまだ若いんだぞ!ハニートラップにゃハマらんぞ!というストイックな理性も働きます(笑)。

私がレッドのピアノや曲に惹かれる理由は、この甘美な微毒の匙加減が自分好みだからということがあるかもしれません。
あともう一匙多いと、オーバードーピングになってしまうであろう危険水域一歩手前の“寸止めの快楽”。

フレディ・レッドは、セロニアス・モンクやビル・エヴァンス、ハービー・ハンコックのような考え抜かれ、垢ぬけたハーモニー感覚ではなく、むしろぶっきらぼうで不器用なぐらい大胆にメジャーセブンス系の響きをドスン!と持ってきます。

そこがレッドのぬぐい切れぬB級テイストを感じさせる要因なのかもしれませんね。
だからこそイイんですけど。

非のうちどころがないほど完璧なプロポーション&ルックス、しかし高嶺の花な蛯原ローサちゃん(?)よりも、隣の席のヨシミちゃんのほうに惹かれる(笑)。

放送聴いていただいた方は、この意味、このニュアンス、おわかりいただけることと思います。

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック