JAPAN

いっきさんがこちらに詳しく書かれていますが、私もJAPANは大好きでしたね~。

今でもよく聴いています。

というより、私がベースをやりたい!と思ったのは、JAPANのミック・カーンを聴いてからなんですね。

正確には、ミック・カーンのソロ・アルバムの『タイトルズ(邦題:心のスケッチ)』を聴いて、ベースではなく、フレットレス・ベースをやりたい!と思った(笑)。



フレットレスベースといえば、ジャコ・パストリアスを筆頭に思い浮かべる人も多いと思いますが、私がジャコを知るのは、その5~6年も後の話。
彼が亡くなった後ですから。

私にとっての青春のフレットレス(?)は、ミック・カーンであり、『アナザー・グリーンワールド』で知ったパーシー・ジョーンズなんですね。


今でも、私の中では、エレキベースとフレットレスべースは、クジラとジンベイザメ以上に異なる別種の楽器なのです。


JAPANでお勧めのアルバムは、なんといっても『ティン・ドラム(錻力の太鼓)』でしょうね。



時代とともに色あせる音も多い中、このアルバムはまったく色あせていない。

なぜなら、このアルバムは、音にしろジャケットのアートワークにしろ、この1枚で、完結・完成・隔絶された独自過ぎる世界ゆえ、時代の音、時代の価値観の関数の中の身の置き所のまったくない作品なのです。

私が大好きなアナログシンセ・プロフェット5の性能・持ち味を限界までに駆使しまくった音づくりは、同時期のもう1人の“プロフェット5使い”の教授(坂本龍一)をも凌駕していましたね。

パーカッシヴな金属チックな音色の多用、
アクセントとビートの置き所を絶妙に裏返したりズラしたりするのが巧みなスティーヴ・ジャンセンの突っ込み気味のドラミングと、軟体動物のようにそれに絡むミック・カーンの変態ベース。

どこまでもアンニュイなデヴィッド・シルヴィアンのヴォーカル。

インタビューでシルヴィアンは、「ボクは中国に一回も行ったことないのに、中国の歌を作ってちょっと反省しているんだよ」というようなことを言いつつも、めちゃくちゃチャイナしまくっている“妄想チャイナ”の強力な説得力。

インチキ臭さも同居した(笑)密室的な音づくりが沸点に達すると同時に、きわめて金属的な冷ややかな諦観も同居した、不思議なアンバランスワールドは、どこをどう切り取っても等しく「ブリキ」。

坂本龍一の『B-2 unit』とともに、無人島に持ってく10枚(え!? 10枚も!?)の中の1枚ですね。



アンニュイといえば、そうそう、『錻力の太鼓』の1枚前の『ジェントルマン・テイク・ポラロイズ(孤独の影)』の《マイ・ニュー・キャリアー》が、なんというか、きわめて上質な英国的蕩けるアンニュイサウンドで大好き。


これぞ、曲単位でいえば、私の中のジャパンの最高傑作だと思っています。

いっきさんは、blogの中で、ジャパンのサウンドが、その後に聞いたジャズへの橋渡しになったと書かれていますが、私の場合は、ジャパンではなく、ジャパン解散後に出たデヴィッド・シルヴィアンのソロ作品『輝ける木の下で(ブリリアント・トゥリーズ)』や、『シークレット・オブ・ザ・ビーハイヴ』が橋渡しだったかもしれません。


両アルバムとも、今聴き返すと、教授のピアノが静かに攻撃的なことに驚かされます。


最後に、最近(といっても、もう7~8年前ですが)のミック・カーンで私がお気に入りのアルバムが、『イーチ・アイ・ア・パス』。


この独特な密室的サウンドには古いも新しいもなく、なんというか良くも悪くも「止まった感じ」が、私の中にいまだ健在な宅録クリエイティヴ心を挑発してやまないのです。

この記事へのコメント

  • いっき

    雲さん。こんばんは。

    人に歴史ありですね~。面白く読ませていただきました。

    実は私、雲さんにミック・カーンが弾いているのはフレットレス・ベースだと言われるまで、気付いていなかったのです(笑)。ず~っと、変だなと思っていたのですが・・・。いいかげんなもんです。やっぱり独りで聴いているだけではわからないことが多いです。友達から教えてもらえるというのは大事ですね~。

    ここに紹介されているジャパン以外のアルバム。凄く聴きたくなってきました。椎名林檎も聴きたいし。どんどん聴きたいものが増えるのはうれしいことなのですが、「今度買いたいリスト」が大変なことになりつつあります(笑)。
    2009年05月30日 00:23
  • いっきさん

    こんばんは。
    いや~、ミック・カーンのベースは、ジャコのベースと同様、フレットラインがありますからね。
    遠目でみたら、フレッテッドに見えるかもしれません。

    ミック・カーンは、キプロス系ギリシャ人で、位置的にも中近東の旋律も身体にしみついているんですね。つまり西洋和声とは異なる音域が体にしみついている。
    くわえて、学生時代はバスーンも吹いていた上に、彫刻家でもある。

    そういったバックグラウンドを加味して考えると、彼の独特なベースラインはサウンドの底辺を彩る、音響によるオブジェと解釈することも出来ます。
    とりあえずコードの底辺(ルート)を低音で支えようね、といった概念からはまったく逸脱したベースラインの組み立て。
    ヴォーカルなどの上モノの底でうごめく下モノも、上モノ以上に奔放になっていいんだよという可能性と安心感を私に教えてくれました(笑)。

    デヴィッド・シルヴィアン個人にスポットを当てるとしたら、私はジャパンの一連の作品よりも、内省的なソロ作品をお勧めしたいです。
    2009年05月30日 01:52

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