今週のこれを聴くべし!~エリック・ドルフィー『ラスト・デイト』

エリック・ドルフィー代表作の1枚の『ラスト・デイト』。



このアルバムでは、フルートによる演奏《ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ》の人気が高い。

もちろん、浅田彰の「鳥になるベクトル」ではないが、私もこの天に飛翔するかのようなフルートのプレイ、そして、ときとして、尺八や和笛の「和」の要素すら漂わせる幽玄でいながらにして力強いドルフィーのフルートには強く魅了されている一人だ。

しかし、それ以上に、このアルバムのフルートプレイは、私はどちらかというと、2曲目の《サウス・ストリート・イグジット》の方に魅力を感じている。

《ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ》で放たれた飛翔感にくわえて、ドルフィーならではのアグレッシヴなスピード感をも感じるのだ。

この曲は、耳の良い方はお気づきのとおり、ブルース形式の曲だ。

しかし、ミシャ・メンゲルベルグの多調的ピアノバッキングも相まって、ちょっと聴きにはなかなかブルースには聴こえない。

テーマの段階からして、もうドルフィーならではの調整のはぐれっぷりテイストが炸裂しており、さらに力強いアドリブが繰り出すフレーズは、私にとっては謎だらけ。

謎、というと語弊があるかもしれないが、要するに、私は、ドルフィーが大好きで、何年間も、ほぼすべてのドルフィーのアルバムに耳を通して、それこそ何十回、何百回もドルフィーを聴いているにもかかわらず、彼の演奏に対する発想のメカニズムが皆目見当がつかないのだ。

もちろん、私はドルフィーではないし、じゃあ他のミュージシャンの発想のメカニズムは分かるのか?と問い詰められると怪しいものではあるが、少なくとも、ドルフィー以外の多くのジャズマンの発想のメカニズム的なもの、つまり、次はこう来るだろうな、きっと、この切り口でこの曲を料理したいのだろうな、という“アプローチのまなざしの”のようなものは感じるものがほとんどだ。

逆にいえば、“演奏に対するアプローチの意志”が強く感じれらないジャズはダメジャズだと思っているし、手癖とやっつけの集積の演奏は、たとえ、ブルースやスタンダードナンバーを演奏したところで、それは単に音であって、ジャズとは呼べないとすら思っている。

この演奏に対するまなざし、発想は、フリーのアプローチのミュージシャンも同様で、個性の強い人ほど、よく分かる。

オーネットやアイラーの演奏なんて、とっても分かりやすいじゃない(笑)。

その逆に、モダンジャズの祖とでもいうべき、チャーリー・パーカーのアルトからも美しくも整然とした構造美と、メカニズムを感じるし、個性とアクのカタマリのセロニアス・モンクの場合も、外しの妙味わいとクセさえつかんでしまえば、「ははぁ、今度はこう来るわけね」とにんまりすることができる。

しかし、ドルフィーの場合は別。

何度も聴いているにもかかわらず、次に出てくる音の発想の根拠のようなものが、まったく予測がつかない。

もちろん、何度もアルバムを聴いているわけだから実際には次に出てくる音は暗記してしまっているんだけど、それでも聴くたびに、「どうして、こういうフレーズでるわけ?」と頭が疑問符だらけになってしまうのだ。

だからこそ、私は長年強くドルフィーに魅了されつづけているのだろうし、ドルフィーに対する中毒症状は今後も続いてゆくのだと思う。

そして、ドルフィーの演奏に対する発想の特異さが“分かりやすく”際立っている演奏が、このブルース形式の《サウズ・ストリート・イグジット》なのだ。

たとえば、モダンジャズのブルースの代表的なナンバー、サヴォイやヴァーブのパーカーによる《ナウズ・ザ・タイム》を聴いた後に、ドルフィーのブルースを聴いてみるといい。

プレイの芯はパーカー的ではありながらも、もっともパーカーから遠い地点にメタモルフォーゼを遂げたグロテスクながらも美しいモダンジャズの最終形の可能性の一つが、もしかしたらドルフィーなのではないだろうか、と日々夢想する私であった。

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