ニューヨークではうけなかったディキシージャズ


ニューオリンズ的編成のディキシーは、不思議なことにニューヨークではうけなかったのです。というのは、ニューヨークのダンス・ホールはシカゴの秘密酒場などとちがって大規模にできており、たとえばハーレムの「サヴォイ・ボールルーム」などは一度に二千カップル(四千人)も踊れるというだだっ広さ。とても七人編成ぐらいのコンボではみみっちくてお話にならなかったからです。

そこでニューヨークのダンス・バンドは、イディオムを南部の創始者に学びながら、新しいオーケストラル・ジャズ―編曲を使うビッグ・バンド・ジャズを創造しなければならなかったのです。こうしてオーケストラル・ジャズは、ディキシーランド・ジャズの発展とは別な、新しい音楽をつくりだしたのであります。(油井正一『ジャズの歴史』より)



ジャズの歴史 (1968年) [-] / 油井 正一 (著); 東京創元新社 (刊)

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