饒舌でも雄弁でもない。だからいい(のかもしれない)/ジョン・コルトレーン『スターダスト』


長らく持っているつもりで、持っていなかったアルバムが『スターダスト』だった。

だから、先日、慌ててタワーレコードで買った。


スターダスト

コルトレーンを聴きたい、
というよりも、
《スターダスト》という曲そのものが聴きたかった。
名曲だからね。

もっとも、いまだに『バラード』をシラフでは聴けない私だが、この《スターダスト》は、ふつーに良かった。

曲調が、「誠実・ぶっきらぼう」なコルトレーンの吹奏にピッタリあっているのだ。

もっと言ってしまえば、コルトレーンは、ちょっと女々しい、いや、本質はかなり女々しいんじゃないか?というところもあり、そういう他のテナー奏者のようにセンチメンタルさを廃しきれない弱さみたいなところが、いや、考えようによっては「俺はオトコだ!」と虚勢を張らない(張れない?)バカ正直な愚直さが、かえってよかったりもするし、おそらく、「コルトレーンのバラードが好きだ」という人が多いのも、もしかしたら、そういう人間的な誠実さ、愚直さが、音にあらwれてシンミリさせるからなのかもしれないな、なんて、《スターダスト》を聴きながら、考えていた。

にしても、「コルトレーンはバラードがいい」という言葉、
コルトレーンの主要アルバムをチェックした上で出た言葉なのか、
それとも、『バラード』と、数枚だけしか聴いてない上で発した言葉なのかによって、ずいぶん言葉の深さと重みが違う。

後期のコルトレーンが大好きで、しかも『バラード』が好きだと書いている奄美大島「サウンズパル」の高良氏の文章を読めば、「そうか、俺の聞き方は浅かった。もう一度聴きなおしてみよう」と思うんだけど、『バラード』しか聴いてなさそうな人が、バーのカウンターで「ねぇねぇマスター、コルトレーンの『バラード』かけてよ、うーんやっぱりコルトレーンはバラードがいいねぇ」なんて抜かしてる「にわか通」を見ると、「コレ聴いてから家! 聴いたのか?聴いたのか?聴いたのか?」と、『ライヴ・イン・ジャパン』や『インタステラースペース』をCDプラスチックケースごと耳に捻じ込みたくなるのは私だけでしょうか? はい、きっとオレだけです(笑)。

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