冬のソナタとフラ・リッポ・リッピ

先日放送された「高野 雲の快楽ジャズ通信~What Is This Thing Called Jazz?」では、私は「冬のソナタ」のメインテーマをキーボードで弾きながら、《枯葉》の32小節のうちの前半16小節のコード進行がそのまま「冬のソナタ」に使われていることを解説した。

だからといって、冬のソナタのパクリ元を暴いたとか、そういう意図は全然なくて、《枯葉》というコード進行の構造の骨格を作りだしたジョセフ・コズマという作曲家は偉いなーと思うと同時に、この構造にのっとって、まったく別のメロディを作りだした「冬のソナタ」の作曲者もこれまた偉いなーと思うのが正直なところなのだ。

コード進行という骨格を借用しつつ、新たな世界観を構築し、提示してみせることは、ある意味ビ・バップ期においては、バッパー達の演奏技術のプレゼンテーションにおいての主要な常套手段でもあったし、むしろそのしたたかな根性が私は好きだったりもする(笑)。

これはジャズや冬ソナにも限ったことではなく、一時期盗作騒動が持ち上がったアルフィーにせよ、小室サウンドの一部にしろ、確信犯的引用が音楽好きのツボを突いた奥田民雄のパフィー初期の楽曲にしても同様だ。

邦楽のみならず、私が愛してやまないノルウェーのバンド、フラ・リッポ・リッピにしても、それは同様。

一聴すれば、あららなんてまた露骨なヒットソングの引用だ!と多くの人は腰を抜かすに違いないこの億面もなさは、かえって爽快ですらある。
もちろん、すべての曲がそうではないのだが、本歌取りのつもりが、かえって安っぽく色あせてしまったサウンドがかえって新鮮な魅力を放つフラ・リッポ・リッピの打ち込みアコースティックサウンドは、時代性など関係なく、いつ聴いても、切ない胸キュン度(笑)は、健在だ。

私は彼らの曲の中では《エンジェル》が好きだ。

高校生のころ、まだ宇田川町の吉野家の前にあったタワーレコードのバーゲンで、100円で買った12インチのペラペラのジャケットとペラペラの盤から放たれた透明でクリアなサウンドが、今でも忘れられない。

ものすごくステレオタイプな曲の構成とありきたりな感動の演出が、かえって切なく、そしてアメリカでもイギリスではない、ノルウエィという個人的には情報の少ない土地から発信されたステレオタイプなポップスの肌ざわりが妙に泣けるのだ。

まさにフランス生まれのアメリカ育ちの《枯葉》が、韓国のメロドラマの主題歌に安っぽく昇華された過程と同じ笑いと感動が同居した複雑な刹那さと切なさが胸を打つのだ(笑)。

今では、その《エンジェル》の12インチは見つけることはなかなか困難だとは思うが、CDのベスト版で聴くことが出来る。



やっぱりフラ・リッポ・リッピは、今でも大好きなバンド。
2~3年に1度しか聴かないが、『SONGS』も良いアルバム。


カーディガンズも北欧のバンドとしては超大好きなバンドではあるが、彼らの強力なオリジナリティの足下にもおよばない、なんだかイナたく弱っちぃフラ・リッポ・リッピにも愛の視線を注ぎたくなるのは、判官びいきの日本人ゆえのDNAのなせるワザなのかもしれない。

オリジナリティのある「強い音楽」も好きだが、オリジナリティを創造しきれない「弱い音楽」にも愛の眼差しを向けたくなる年齢になってきた、本日13回目の結婚記念日、文化の日(笑)。

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