放送第8回「コルトレーン入門」(4)

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今回は放送の冒頭で話したことに絡めて、ミュージシャンの個性のひとつ、「音色」と「スタイル」について書いてみます。

皆さんがコルトレーンを最初に聴いたときに感じる「違和感」のひとつに、彼独特の音色があるのではないかと思います。

一言で言ってしまえば、「テナーサックスぽくない音色」。

まあ、その人が過去にどのようなテナーの音色を聴いてきたかにもよりますが、たとえばデクスター・ゴードンやベン・ウェブスターのようなテナーの音に慣れたうえでコルトレーンを聴くと、「ずいぶんとアルトサックスみたいな音色だな」と感じるかもしれませんね。

音域高め。しかもシャープでエッジの立った音色。

多くの人が漠然と抱いている「テナーは男っぽくて太い」、そのようなイメージとはかけ離れた音色でコルトレーンはテナーサックスを吹いていました。

なぜ、コルトレーンの音色はこのような尖った音色なのでしょう?

それは、コルトレーンが目指した音楽のスタイルと密接に関係があります。

いや、もっと言ってしまえば、それこそがコルトレーンというジャズマンの表現そのものなのです。

この音色は、コルトレーンが確立した奏法「シーツ・オブ・サウンズ」と密接な関係があります。
多くの音を、まるで空間を敷き詰めるかのように吹きまくるスタイルです。

このスタイルに適した音色は? と考えると、野太い音色がふさわしいとはいえません。

これ、鉛筆に例えるとわかりやすいと思います。

ベン・ウェブスターのような太い音色のテナーサックスの音色はB系の鉛筆なんです。
2Bとか5Bなどの芯が柔らかくて太い鉛筆ですね。

絵などを描くのに適しています。

一方、コルトレーンの音色は鉛筆に例えるとH系。
書いたときの感触がカリカリとしている硬い芯の鉛筆です。

この鉛筆は製図などの細かい作業をするときに向いています。

さて、細かな描写をする場合は、H系とB系の鉛筆だったらどちらが適しているでしょう?

たとえば、幅1センチの枠の中に5本の縦線を書くとしたら?

太いB系の鉛筆だと、もしかしたら隣同士の線と線がくっついてしまうかもしれませんよね。
H系の鉛筆のほうが書きやすいはずです。

それと同様、時間の中にたくさんの音を敷き詰めるかのように演奏する場合、輪郭のぶっ太い音と、鋭角的でエッジのたった音色とではどちらが自分の吹いた一音一音を印象付けることが出来るでしょう?

言うまでもなく、エッジの立った尖った音です。

太い音だと音と音同士がくっついてしまいモゴモゴしたニュアンスになることでしょう。

このようなことからも、コルトレーンのテナーサックスの音色は我々が漠然と感じている「太くて男らしいテナーサックス」の音色とは一線を画していることがおわかりでしょう。

「自分はテナーサックスはやっぱり太い音が好きだ。だからテナーサックスらしくない音色のコルトレーンよりも、ハリー・アレンのほうが断然テナーサックスらしい。日本人はやたらコルトレーンを神格化しているが、テナーサックスの音色を聴いているのか? 同じテナーサックスでもハリー・アレンのほうがいい音色しているじゃないか。」

これ、コルトレーン嫌いな寺島靖国氏が実際にPCMジャズ喫茶の公開収録の際にハリー・アレンをかけながら実際におっしゃった内容です(笑)。(※録音したわけじゃないので、要約しています)

しかし、音色の違いはミュージシャンの音楽性の違いです。

音楽性とは何か?

そのひとつに、音色も含め、総合的に自分はどのような音色でどのようなアプローチで表現するか、ということがあります。

アマチュアの私だって、ベースに求める音色や奏法にはかなりコダワリがあります。このコダワリのためにかなりの額のお金を投資しているんですから(笑)。

たとえば弦を弾く場所を数センチずらすだけで音色は驚くほど変わります。このようなちょっとした奏法の違いもありますし、弦のメーカーや材質、1mm以下の単位での弦の高さの違いや、パーツの材質などで、まったく音色や弾いているときの感触が変わってしまうのです。

アマチュアの私ですらそうなのです。

ましてや相手はプロミュージシャン。楽器の音色や奏法、自分が表現したい音楽のことを深く考えていないはずがありません。

つまり、コルトレーンの音楽は、自分が表現したいスタイルと音色が密接に結びついているのです。

もちろん非常に求道的な人だったようなので、圧倒的な演奏をしながらも、常に自分のプレイスタイルには疑問を抱いていたかもしれません。

しかし、少なくともエッジの立った音色で吹くシーツ・オブ・サウンズは、見事コルトレーンの音色とテクニックと表現内容が有機的に絡み合っている。

このへんのところを無視して、単に自分の好みを局所的に当てはめて聴こうとするのはオカシな鑑賞態度だと言わざるをえません。

この発想は、モノに求める「カスタマイズ」という考え方に近いのかもしれません。

対象が車やオーディオなどの「モノ」だったらいいでしょう。

自分好みのパーツに付け変えればいい。

一部の部品を交換しさえすれば良い。
それで自分自身が納得がいくのであれば。

しかし、相手はミュージシャンです。人間です。

トータルな音楽表現の中において気に食わない一部分だけを抽出して取り換えることなどできないし、それは表現者に対する冒瀆ですらあります。

仮にコルトレーンがまだ生きており、現役バリバリでシーツ・オブ・サウンズを吹いているとしましょう。

そこにハリー・アレンの音が好きなプロデューサーがあらわれて、「俺は太い音が好きだ。このマウスピースとこのリードで吹け」と命令したとしたら……?

コルトレーンの音楽は一気にバランスを崩してしまうことでしょう。

音色と奏法には密接な関連があります。

もちろん、私のようなアマチュア楽器弾きは単なるミーハー気分で、こう弾けばジャコっぽいとか、マーカス風の音を出すにはイコライザーのココとココを調整すれば良い、ジェマーソンは一本指奏法なんだよな、などと言って遊んでいますが、これはあくまで遊びのレベル。

いうなればゴッコ遊び。やってることは、憧れのキャラクターと同じ格好をして楽しむコスプレに近い。

だから、ジェマーソンみたいなスタイルで生計立てようなどとはゆめゆめ思ってもいません。

しかし、プロの場合は音色・奏法が絡み合ったスタイルは、その人自身の看板です。
誤解を恐れずにいえば、音色・奏法・表現内容こそがプロミュージシャンにとっては「飯のタネ」でもあるのです。

コルトレーンの音色と奏法は不可分です。
もちろん、コルトレーンに限らず、一流のミュージシャンになればなるほど、音色と奏法から生み出されるスタイルは密接に結びついています。

カリカリした音色が嫌いだからと、ただそれだけの理由でコルトレーンのことをクサすのは、「彼はこの音色でいったい何を表現したかったのだろう?」という視線が欠落しているからかもしれません。

彼の音楽とキチンと向かい合っていないといわれても仕方がないでしょう。

もっと言ってしまえば、己の鑑賞の浅さを暴露しているといっても過言ではないのです。

もちろん、向かい合った結果「どうも自分には向いていない。好みではない」という結論を下すのはやむを得ない。仕方がないと思います。

好みは人それぞれだし、今後聴かなければいいだけの話です。

しかし、いくら演奏している楽器が同じだからという一点の理由だけをもってして、表現のスタイルの違うミュージシャンを同じ土俵に上げたとしても、そう簡単に優劣を比較できるものではないのです。

「好き嫌い」の比較はできたとしてもね。

なーんてことを、私の頭の中に存在する「仮想コルトレーン嫌いさん」向けて、放送の前半で喋りたかったのですが(笑)、ディレクター嬢に「そんなに喋る時間ありませーん!」と怒られそうなので自重しました(涙)。

もし、今回の放送を聴いて、雲ちゃんいつになく熱くて鬱陶しいわと感じられた方がいらっしゃれば、きっと言いたいことの半分も言えなかったフラストレーションから生じた異常な熱気のせいだと思ってください(笑)。

そういえば、ディレクター嬢は、《アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー》の長いカデンツァを聴きながら、「本当に、アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユーですね。言いたいこといっぱいあり過ぎって感じです」と仰られてました(笑)。

コルトレーンだけではなく、俺だって言いたいこといっぱいあったんだよ~ん(笑)