マイルス、モンク「喧嘩セッション」の原因はミンガスが寄稿した「公開書簡」にあった?!

あれだけ、マイルス本人も、 モンク本人も、 喧嘩はなかったと証言しているにもかかわらず、 まだ一部では「喧嘩セッション」と呼ばれているようです。 1954年12月24日のクリスマス・セッション、 『バグズ・グルーヴ』と、 『マイルス・デイヴィス・アンド・ザ・モダン・ジャズ・ジャイアント』に 収録されている曲のレコーディングのことですね。 例の、…

続きを読む

ディジーとモンク

先日、トランペッター、ディジー・ガレスピーと、 ピアニスト、セロニアス・モンクの交友関係と、 お仕事関係の話を動画にアップしました。 2人は同い年。 ディジーはモンクのことを音楽的な面においては敬意を払っていたのですが、 こと仕事の面に関しては……? また、直接的なきっかけではありませんが、 ディジーがモンクをクビにしたあたりの時期に、 初…

続きを読む

『カインド・オブ・ブルー』~ビル・エヴァンスが執筆したライナーノーツ

ビル・エヴァンスは『カインド・オブ・ブルー』で、 即興演奏を、水墨画になぞらえて書いています。 これがまた言いえて妙で、 非常にジャズの即興演奏の本質を言い当てている名文章だと思います。 そのことについて、軽くYouTubeで語っています。 よろしければ、どうぞ。 ▼こちら 『カインド・オブ・ブルー』ビル・エヴァンスが執筆したライナーノーツ そ…

続きを読む

ジャズの「入門書」が巷に溢れている理由

ライヴ中心にジャズを楽しんでいる人や、 YouTubeで動画検索をしてジャズを楽しんでいる人は、 おそらくですが、 いわゆる「ジャズ本」なんかは読まないとは思いますが、 私のような活字好きにとっては、 けっこう読みます、ジャズ本を。 で、本屋さんの音楽書のコーナーに行くと、 いつの時代も、必ずあるんですよね、 「入門書」が。 そんなにコンスタントに 活字を読ん…

続きを読む

知らないと恥をかく?!ジャズマンを呼ぶときのイントネーション

「カレー」という食べ物も 地方によってイントネーションが違うように、 ジャズマンを呼ぶときのイントネーションも、 人によって差があるようです。 チャーリー・パーカーの「パーカー」は、 パーカー↑? パーカー↓? バド・パウエルの「パウエル」は、 パ↑ウエル? パ↓ウエル? エリック・ドルフィーの「ドルフィー」は、 ド↑ルフィー? …

続きを読む

マイルスの誘いを断ったザヴィヌル

ちょっとした偶然が、 いや、ちょっとした いちピアニストの判断で、 大げさにいえば、 現在のジャズの歴史が形作られた、 ……のかもしれません。 新記事をアップしました。 ▼こちらです♪ ウィントン・ケリーとジョー・ザヴィヌル~マイルスから同時に声をかけられた2人のピアニスト なんと、ウィントン・ケリーと同時にマイルスは ジョー・ザヴィヌルにも声…

続きを読む

マイルスとプリンス

マイルス・デイヴィスは 1985年に長年(約30年)契約していたコロムビアを離れワーナーに移籍。 1986年に『TUTU』を発表した。 TUTU -DELUXE- マイルスがワーナーに移籍した背景には、 当時ワーナーに在籍していた プリンスの薦めが大きかったという。 当時のプリンスのアルバム。 ↓ ある意味、この『アラウンド・ザ・…

続きを読む

瀬川昌久氏とチャーリー・パーカー

日本人でチャーリー・パーカーの生演奏を聴いた人といえば 瀬川昌久氏が有名ですね。 氏は1953年に富士銀行のニューヨーク支社に転勤し、 翌年に帰国するまで3回聴いたそうです。 バードランドで、 カーネギーホールで、 ブルックリンのパラマウント劇場で。 パーカーが亡くなったのが1955年の3月ですから、 瀬川氏が接したのは 晩年のパ…

続きを読む

【豆知識】ルイ・アームストロングがアール・ハインズに与えた影響

Here Comes/Earl Hines ピアニスト アール・ハインズのピアノ奏法のスタイルは、最初はハーレム・ストライド奏法(♪ズンチャン・ズンチャンと左手が忙しくオクターブ上下をいったりきたりするスタイル)から出発したが、サッチモ(ルイ・アームストロング)と共演することで、シングルトーンを駆使したピアノ奏法のスタイルを開拓した。 ブラック・シカゴ・ジャズサウスサイド 第…

続きを読む

【豆知識】アルフレッド・ライオンのダンス

ブルーノートのオーナー、アルフレッド・ライオン。 彼は、レコーディングの際に、演奏の調子が良くないと座っている椅子から動かなくなり、演奏がのってくると(彼の思い描いたサウンドになると)、コントロール・ルームの中を妙な格好で歩き回ったという。 ライオンのこの習性を知っているジャズマンたちは、このことをアルフレッドのダンスといい、彼が奇妙なダンスをはじめると自分たちの…

続きを読む

【豆知識】ローヴィング・スピリッツ

ローヴィング・スピリッツは、嶋津健一、加藤真一、浅川太平、スガダイローなど個性豊かなミュージシャンたちの才能を発掘発表しつづけているレーベルで、マニアがニヤリとする作品を多く発表している。 最近の作品では、『秘宝感』がオススメ。 ちなみに中村梅雀もベーシストとして同レーベルから作品を発表している。 ブライト・フォーチュンアーティスト: 中村梅雀出版社…

続きを読む

【豆知識】アル・ヘイグの『インヴィテーション』

アル・ヘイグが20年ぶりにカムバックを果たして録音したアルバムが『インヴィテーション』だ。 このトリオのパーソネルは、ジルベール・ロベール(b)、ケニー・クラーク(ds)だが、 当初はベースにニールス・ペデルセン、ドラムスにエド・シグペンが配される予定だったという。 いずれにせよ、 一度聴いたら忘れられない《インヴィテーション》。 長いブランクの間に何があっ…

続きを読む

【豆知識】マンフレート・アイヒャー

マンフレート・アイヒャー(マンフレッド・アイヒャー)はECMレーベルの創立者で、1943年ドイツのバイエルン州で生まれた。 レーベルを立ち上げたのは1969年で、レーベルのコンセプトは「沈黙に次ぐ最も美しい音」だった。 ちなみに彼はベーシストでもあり、ベルリン・アカデミー・オブ・ミュージックにて作曲とコントラバスを学び、ベルリン・フィルでコントラバスを演奏したこと…

続きを読む

トニー・ウィリアムスの「ライフタイム」に批判的だった油井正一氏

ジャズ評論家の大御所の故・油井正一氏は、意外なことにトニー・ウィリアムス率いる「ライフタイム」にはあまり評価していなかったようだ。 ハンク・ジョーンズのグレート・ジャズ・トリオのライナーノーツでのトニー・ウィリアムスの紹介にはこう記されている。 マイルスのグループをやめてからずっと続けている「ライフタイム」というロック・グループだけは僕にはどうしてもいいものとは思えない。ジャ…

続きを読む

【豆知識】チャーリー・パーカー「ラヴァー・マン・セッション」の真実

1946年7月29日に、チャーリー・パーカーをリーダーとするダイアル・レコードによるセッションが行われた。 メンバーは、 トランペッターにハワード・マギー、 ピアニストにジミー・バン、 ベーシストがボブ・ケスターソン、 ドラマーがロイ・ポーターだ。 スタジオには午後2時頃にパーカーとマギーがやってきた。 しかし、パーカーはかなり衰弱をしていた。 なぜなら、麻薬密売人の…

続きを読む

アカデミー助演女優賞を受賞した日本人ジャズシンガーは?

正解はナンシー梅木。 北海道小樽出身のジャズシンガーで、上京後ジャズシンガーとして米軍基地で腕を磨いた。 当時はペギー葉山とともに人気・実力ナンバーワンの日本人ジャズシンガーだった。 1956年に渡米し、出演した映画『SAYONARA』の演技が認められ、助演女優賞を受賞した。 サヨナラ [DVD] / 梅木ミヨシ, マーロン・ブランド (出演); ジョシュア・ローガン…

続きを読む

エヴァンスとコルトレーンの確執

(マイルス・グループでの)最後の共演は、1958念11月4日から16日までの『ヴィレッジ・ヴァンガード』への出演とされる。そして、そのころにはエヴァンスがグループの誰よりも重度の常習者となり、人気グループゆえの過酷なツアーに耐えられなくなっていた。 だがエヴァンスが脱退した理由には、音楽的な要因もすくなからずあった。マイルスにとって完璧なグループであったものの、エヴァンスとジョ…

続きを読む

集団即興演奏の欠陥

たとえ少人数で演じようとも、すこしの編曲もされていない、おのおの独自の勝手気ままなアドリブが、多声音楽(ポリフォニー)として、りっぱな音楽になっているというのは、玉突きのフロック(偶然命中)的出来事でありまして、実例としては、一九三五年――七年の、テディ・ウィルソンのレコーディングのラストコーラスを聞けばわかるのです。ウィルソンが集めたレコーディング・コンビネーションは、当時最高のインプロヴ…

続きを読む

ペッパーと麻薬

1950年代には多くの傑作を生み出したアルトサックス奏者のアート・ペッパーだが、麻薬のために長い間音楽キャリアにブランクを空けてしまう。 1960年の10月に麻薬所持の容疑で逮捕されて以来、服役と治療、出獄、わずかな演奏活動→再度麻薬に手を染め→再び逮捕 を繰り返していた。 奇跡のカムバックと呼ばれたシーンへの復帰は1973年なので、60年からは13年もの歳月が経過していることになる…

続きを読む

レニー・トリスターノの弟子

リー・コニッツの他にも、トリスターノの弟子はいる。 まずは、テナーサックスのウォーン・マーシュ。 ギタリストのジミー・レイニー、ビリー・バウアー。 ピアニストのルー・レヴィ、サル・モスカ、ロニー・ボール。 トランペッターのドン・フェラーラ。 ベーシストのピーター・インド。 皆白人だというところが興味深い。

続きを読む

ジョン・ゾーンは、日活ロマンポルノのマニア

日本への滞在が長いこともあってか、アルトサックス奏者のジョン・ゾーンは、かなりの日本通として知られている。 なかでも、日活ロマンポルトにははまりまくっていたそうで、 ポスターもコレクションしていたとか。 また、NYの「ニッティング・ファクトリー」にて日活ロマン・ポルノの上映会も行ったこともあるというのだから、彼のマニアっぷりはかなりなものだということがうかがえる。 …

続きを読む

スピード狂だったアート・ブレイキー

アート・ブレイキーは、かなりのスピード狂だったそうで、メンバーからは「ノー・ブレイキー」と言われて恐れられていたそうだ。 なにしろ、60歳を超えても、ちょっとした演奏旅行であれば、大型バンに楽器をつめこみ、移動していたのだというから、そのバイタリティにはおそれいる。しかも、かなりのスピードで飛ばしていたのだそうだ。 彼のみなぎるパワーは、パワフルなドラムだけではなかったのだ。 …

続きを読む

リンゴ・スターのジャズアルバム

ビートルズのドラマーだったリンゴ・スターがジャズアルバムを出していたことはご存知? センチメンタル・ジャーニー(紙ジャケット仕様) / リンゴ・スター これはビートルズが解散表明をする一ヶ月前に発売された、リンゴの初ソロアルバムで、アレンジにはかのクインシー・ジョーンズも担当している曲もある。 《スターダスト》にはポール・マッカートニーも参加していたりと、なかなかの贅沢…

続きを読む

熱烈なレコードコレクター、ケニー・ワシントン

ドラマーのケニー・ワシントンは、レコード収集家としても有名だ。 演奏ツアー先ではショップを見つけ、買い求めているうちに膨大なコレクションが溜まったという。 彼の素晴らしいところは、きちんと購入した音源を聴き、その内容を覚えているということ。だからこそ、ブルーノートの未発表テイクをチェックする仕事を一時期していたこともあるのだろう。

続きを読む

アルバート・アイラーの死因

1970年11月25日、三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地で自殺した日に、ニューヨークの東にあるイースト・リヴァーでアルバート・アイラーの死体が発見された。 この日より20日前から、彼は行方不明になっていたという。 彼の死は、遺体に撃たれた痕が10発あったとか、麻薬絡みでマフィアから見せしめにされたなど、諸説わかれているが、真の死因はいまもって謎のままだ。

続きを読む

バップ・トゥ・クール

ビ・バップの喧騒は、戦後、だんだんと人心が安定するにしたがって、一転して、こんどは沈みきったクール・ジャズへと進展しました。ジョージ・シアリングや、リー・コニッツ、そしてスタン・ゲッツは、バップ・コードをそのまま用いて、ヴィブラートのない冷たい音を出してバップの喧騒に対立しました。 ジャズ史上、このバップからクールへの転換ほど、突然変異をきたした出来事はありません。前古未曾有の現象でし…

続きを読む

チャーリー・クリスチャンがいなければ、クラプトンも、ジェフ・ベックもギターヒーローには成り得なかった!?

ジャズ界で、ギターでソロを取りはじめたジャズマンは、チャーリー・クリスチャンであることは周知の通り。 彼の卓越した技量は、『ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン』などで楽しむことが出来る。 After Hours(ミントン・ハウスのチャーリー・クリスチャン) クリスチャンが雄弁にギターソロを奏でらるようになった背景は、テクノロジーの発達と無関係ではない。 いや…

続きを読む

パーカー、NY最初の仕事はピアニストだった。

チャーリー・パーカーがカンザスシティからニューヨークに「上京」してきた際の最初の仕事は、「モンローズ・アップタウン」でピアノを弾くことと、「ジミーズ・チキン・シャック」での皿洗いだった。

続きを読む

バンド運営の大変さ

バンドを切り回すためには、さまざまな力量が必要とされる。その多くは、音楽とは一切関係ないものだ。これまでもくり返し述べてきたが、敵が多く、冷淡で、競争の激しい音楽業界のなかでひとりの個人が生き抜いていくためには、広く大きな背中と相当な自信が必要だ。ジョーの精神的な回復力には驚異的なものがある。人生において、立ち直れないほどに落胆したり、意気消沈したり、行き先を見失うことはほとんどなかった…

続きを読む

レイス・レコードとヒルビリー・レコード

レイス・レコードのレイス=人種は、黒人を差す。 1920年に、黒人女性歌手のメイミー・スミスのブルースレコードが売れたため、レコード会社は黒人レコードもビジネスになることに気がついた。 そこで黒人レコードの需要に注目するようになり、黒人の懐事情をかんがえ、なるべく休めに売るようにし、一般向けのレコードと区別するために、レイス・レコードと名付けるようになった。 これに並んで、南部など…

続きを読む

スタンリー・ジョーダンのタッピング奏法

スタンリー・ジョーダンは、タッピング奏法で一躍注目を浴びたギタリストだ。 多くのリスナーを驚かせたのが、彼のタッピング奏法。 ピックで弦を弾かず、 ギターの指板の上から指で押弦する奏法だ。 タッピングは、主にヘヴィメタ系のギタリストが用いることの多いギターの奏法だが、 彼は、ロック系のギタリストがこの奏法で演奏していることを知らなかったという。 ジョーダン…

続きを読む

ジャズマンの名前言い代え(?)便利表

エブラハム⇒エーブ アルバート⇒バート アレキサンダー⇒アル、アレックス、サンディ アンドリュー⇒アンディ アンソニー⇒トニー ベンジャミン⇒ベン、ベニー カルヴィン⇒カール チャールズ⇒チャーリー、チャック ダニエル⇒ダニー、ダン ダグラス⇒ダグ エドモンド⇒エド、エディ、ネッド、ネディ セオドア⇒テッド、テディ エマヌエ…

続きを読む

ビル・エヴァンス・トリオ、インタープレイが生まれた背景

インター・プレイのことをよくいわれるが、それはビルが音数を少なく演奏することに対して、スコットとわたしでその間隙を埋めるようにしたから生まれたんだよ。相槌を打つようなものだ。ところが、ビルはわたしたちの相槌を無視しなかった。だから、わたしたちもさらに何か応えなくてはならない。そうやってあのトリオのスタイルはできあがった。(ポール・モチアン)/小川隆夫『ジャズマンはこう聴いた!珠玉のJ…

続きを読む

サードストリーム

「サード・ストリーム」というのは、1950年代、アメリカ人音楽学者ガンサー・シュラーによってつくり出された、アメリカのジャズとヨーロッパのクラシック音楽を融合させた音楽を表現する言葉だ。一部のミュージシャン(おもにジャズ・ミュージシャン)がこの音楽を追求したことは確かだが、それを「ムーブメント」と呼ぶのはあまりにも大仰すぎる。ただし、ジャズの語彙の幅を広げたという点では、効果があったといえる…

続きを読む

ベニー・グッドマンのスタイルの変遷

第一期のグッドマンは円熟味はなくとも、まじめにジャズと取り組んで吹奏しようとしている姿勢には見逃すべからざるものがあり、私はこの頃のグッドマンを愛好しています。 第二期とは、一九三五年にはじまり、ケンランたるビクター時代を経て、コロムビアに鞍がえした、一九三九年頃と考えられます。いわゆる「キング・オブ・スイング」の盛名をほしいままにしたころのものです。技巧といい、フィーリングといい、非…

続きを読む

ロリンズの雲がくれは、いつからいつまで?

ソニー・ロリンズは3度シーンから身を隠している。 いわゆる雲隠れだ。 1回目は1954年からの1年間。 麻薬癖から抜け出すため、療養所に数カ月入院していた。 カムバックのきっかけは、ブラウン=ローチ・クインテットのメンバーに誘われたため。 2回目は、1959年から61年まで。 これが「橋」のエピソードで有名な、ウイリアムバーグス・ブリッジでの練習期だ。 橋 …

続きを読む

レコード店員もやっていたこもあるジョン・ゾーン

ジョン・ゾーンはかつてサックス奏者のティム・バーンと一緒にソーホーのレコード屋でアルバイトをしていたことがあるという。 聴きたい音楽を好きなだけ聴けるショップ店員。 だからこそ、他ジャンルの音楽的造詣も深く、たとえば『ネイキッド・シティ』で認められる多彩なサウンドコラージュ的な手法も易々とこなせたのだろう。 Naked City [CD, Import, From US…

続きを読む

ハンク、サド、エルヴィン。ジョーンズ3兄弟

Keepin' Up With the Joneses ジャズ界のジョーンズ兄弟といえば、 ハンク・ジョーンズ(ピアノ)、 サド・ジョーンズ(トランペット)、 エルヴィン・ジョーンズ(ドラムス) この3人が思い浮かびます。 3者3様、独自のスタイルを築き上げ、3人とも大御所ジャズマンといっても過言ではありませんが、不思議なことに、この3兄弟が共演しているアルバ…

続きを読む

原初のピアノトリオ

ナット・キング・コールが活躍するまでは、ピアノトリオという編成は一般的ではなかった。 当時のジャズは、ビッグ・バンドのような大人数編成が好まれ、さらにはホーン奏者が主役だったからだ。 しかし、1930年代後半にナット・キング・コールがピアノ、ベース、ギターという編成のトリオで活躍しだすと、オスカー・ピーターソンなど、彼の影響を受けたミュージシャンがピアノトリオの編成で活躍しはじめ…

続きを読む

《イン・ア・サイレント・ウェイ》誕生秘話

「マイルスがある朝電話をかけてきて、午後一時にレコーディング・スタジオへ来いと言うんだ。“わかった”とだけ答えた。その一分後にまたマイルスから電話があって、“何か曲を持ってこい”と言われたのさ」 《イン・ア・サイレント・ウェイ》はその数年前に冬休みを取り、オーストリアで家族とともに過ごしたときに書いた曲の一つだった。この曲を書いたときの状況を、ジョーは特によく覚えていると言う。 「私…

続きを読む

フランスなくしてジャズは生まれなかった

ジャズの発祥の地はニューオリンズだということは周知のとおり。 この地は、多くの黒人がアフリカから労働力として連れられてきた港町。 また、一時期は、スペインやフランスの統治下の街でもあった。 よって、アメリカでありながらも、ヨーロッパの文化も根付いていたのだ。 このような環境の中でジャズは生まれたわけだが、では、黒人たちが手にした楽器はどこから流れてきたのかというと、ニューオリンズ…

続きを読む

熱烈なJBファンのクリスチャン・マクブライド

ベーシスト、クリスチャン・マクブライドのJB(ジェームス・ブラウン)好きは有名な話だ。 子供の頃からJBのレコードを買い集め、ジャズよりJBの音楽が好きだと公言するほどの入れ込みよう。 JBのアルバムを再発する際は、レコード会社の人がマクブライドにジャケットを借りにくるというほどなのだから、すごい。 彼はエレキベース奏者としての腕も超一流で、『ライブ・アット・トニック』で聴…

続きを読む

アイク・ケベックの功績

アイク・ケベックはスイング派からモダンジャズのイディオムを吸収し、スタイルを変遷させていったテナーサックス奏者だ。 彼は演奏者としてのみならず、ブルーノートのスカウトマンとしても有名だ。 たとえば、セロニアス・モンクとバド・パウエルをブルーノートのオーナー、アルフレッド・ライオンに紹介したのも、ケベック。 また、ブルーノートのお抱え運転手としても活躍し、ブルーノートがヴァン…

続きを読む

ユーミンはメセニーファン

ユーミンこと松任谷由実は熱烈なパット・メセニーファンであることを知るファンも多いことでしょう。 そんな彼女が、メセニーのアルバムにライナーを書いていることをご存知でしたか? 『レター・フロム・ホーム』には、壮大な妄想まじり(?)でメセニーの音楽について書かれています。 興味のある方は、日本盤のCDを買って、ご一読のほどを。 Letter From Home […

続きを読む

トリスターノとコニッツ。師弟コンビの年齢差

レニー・トリスターノの高弟といえば、まずまっさきにアルトサックス奏者のリー・コニッツの名が挙がるだろう。 彼と師匠との年齢差は8歳。 2人はシカゴ在住時に知りあった。 サブコンシャス・リー [Limited Edition] / リー・コニッツ, ワーン・マーシ...

続きを読む

地元を離れなかったエリス・マルサリス

ブランフォードやウイントンの父、エリス・マルサリスは、若かりし日は、トランペッターのアル・ハートのバンドのピアニストとしてツアーを繰り返していた。 アル・ハート・グレイテスト・ヒッツ [Limited Edition] / アル・ハート (演... しかし、息子たちが大きくなるにつれ、地元のニューオリンズにとどまり、ホテルのピアニストとしての活動を主軸に据えるようになる。 …

続きを読む

グレッグ・オズビー=大五郎

アルトサックス奏者のグレッグ・オズビーは、大の日本通で、特に『子連れ狼』のファンなのだそうだ。 なので、一時期は自分のことを「伊藤大五郎」と名乗っていたうえに、自身の音楽出版社も「ダイゴロー・ミュージック」という名前で登記していたほど。 もちろんカラオケでの18番も「子連れ狼」とのことらしい。 ▼ジャケットのイラストは、もちろん大五郎 「子連れ狼」第1シリーズ ミュージッ…

続きを読む

レコードは減らない

「すり切れる程」云々というのは、あれはSP盤時代の名残の台詞で、まともなプレイヤー、まともな神経さえ持ち合わせればLPレコードは容易に減らない。(コルトレーンの)『アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』も『アット・バードランド』も同様に二十五年かけたくらいでは減らない。減ったのはハラと針とカネだけだった。 (一ノ関「ベイシー」店主 菅原昭二氏のエッセイより) ▼収録本 ジャズ喫…

続きを読む

「ファンキー」本来の意味

ファンキーというのは、ふつうの英和辞典を引くと「臆病な」という意味なのです。ところがこれはスラングで、「黒人くさい」という意味なのです。黒人には傍にゆくと独特の体臭がある、あの匂いのことなのです。そしてearhty(アーシー……つまり土くさい)という意味もあり、黒人のブルースに感じられる一種の土くささを指すことにも用いられました。ただこれだけの意味なのです。すくなくとも「ユーモラス」などとい…

続きを読む

池田満寿夫描き下ろしのマイルス・デイヴィスのアルバムジャケット

マイルス・デイヴィスの『1958マイルス』のジャケットは、池田満寿夫描き下ろしのもの。 1958マイルス / マイルス・デイヴィス ビル・エヴァンス、ジョン・コルトレーンらがおりなす美しい世界。 『カインド・オブ・ブルー』のスタンダード版とでもいうべき内容。 《グリーン・ドルフィン・ストリート》が特に良い。

続きを読む

ニューヨークではうけなかったディキシージャズ

ニューオリンズ的編成のディキシーは、不思議なことにニューヨークではうけなかったのです。というのは、ニューヨークのダンス・ホールはシカゴの秘密酒場などとちがって大規模にできており、たとえばハーレムの「サヴォイ・ボールルーム」などは一度に二千カップル(四千人)も踊れるというだだっ広さ。とても七人編成ぐらいのコンボではみみっちくてお話にならなかったからです。 そこでニューヨークのダンス・バン…

続きを読む

ディキシーランド・ジャズの語源

むかし、まだニューオリンズが、フランスの統治下にあった頃、ニューオリンズの中央銀行が発行していた十ドル紙幣に、大きくDIX(フランス語で十のこと)と印刷してあったそうです。このことからして、ニューオリンズをDIXIE(ディキシー)とアダナするようになり、まもなくニューオリンズのみならず、アメリカの南部一帯を、ディキシーないし、ディキシーランドとよぶようになったということです。 ニュ…

続きを読む

ディーバ・ジャズ・オーケストラとは?

ディーバ・ジャズ・オーケストラとは、ドラマーのシェリー・マリクルがリーダーの女性のみのビッグバンド。 拠点はニューヨーク。 1993年にオーディションで選ばれたメンバーにより初のコンサートを行い、世界各国のジャズフェスティバルやブルーノートNY出演など演奏活動繰り広げている。 ピアニストの山中千尋も一時期在籍していたこともある。

続きを読む

被虐的な白人ジャズマンのニックネーム

白人⇒被虐的なニックネーム 黒人⇒偉い称号 言われてみれば、そのとおりですな。 ジャズ王国ではキングの地位を争って血みどろの争いが起り、初代のバディ・ボールデンは、二代目のフレディ・ケパードにその地位を奪取され、ケパードは、心ならずもジョー・オリヴァに破れ、オリヴァは、養子的ルイ・アームストロングに王冠を与え、一九五七年の現在、この王国は依然として、アームストロングの統…

続きを読む

いまさら聞けない「ジャズの十月革命」って何?

ジャズの歴史書を紐解くと必ずといってもいいほど出てくる言葉の一つに「ジャズの10月革命」がある。 これは、1964年の10月1日から4日間の間、ニューヨークにある「セラー・カフェ」で行われたコンサートとパネルディスカッションのイベント名のことだ。 主催者はトランペッターのビル・ディクソンで、趣旨&目的は当時降盛をきわめたフリージャズの運動を分かりやすい形で提示することで、…

続きを読む

マルサリス兄弟

ピアニスト、エリス・マルサリスの息子たちは皆、一流どころのジャズマンです。 長男のブランフォードは、テナーサックス奏者(ソプラノも吹く)。 次男のウイントンは、トランペット奏者。 五男のデルフィーヨはトロンボーン奏者。 六男のジェイソンはドラマー。 愛しき女へ ‾スタンダード・バラード集 / ブランフォード・マルサリス, エリス・マリサリス ...

続きを読む

ジェリー・マリガンのピアノレス・カルテットが生まれた背景

最初は、ピアノのジミー・ロウルズもバンドメンバーだったが、 1、彼のガールフレンドがリハーサル中、うるさく邪魔 2、たまたまロウルズ抜きで練習してみたら、しっくりきた という理由がジェリー・マリガン=チェット・ベイカーのピアノレス・カルテットが誕生した理由らしい。 音楽的、楽理的な理由ではないのが意外だが、発見、ひらめきというものはえてしてこのようなことが契機にな…

続きを読む

ギル・エヴァンスの住みか

ニューヨークにやってきたマイルス・デイヴィスは、チャーリー・パーカーと共に暮らし、やがてアレンジャーのギル・エヴァンスと親交をもつようになる。 当時のギルは、中国人が営むクリーニング屋の裏手の地下の一室に住んでいた。 ここに通い詰めたマイルスは、新しいジャズの表現方法を模索し、やがて歴史的名盤の『クールの誕生』に結実することになる。 クールの誕生 / マイルス・デイヴィ…

続きを読む

ウェスを雇ったブルースギタリスト

ウェス・モンゴメリーがまだインディアナポリスでの無名時代、ブルース・バンドにサイドギタリストとして加わっていたことがある。 リーダーはジョニー・ザ・クライング・トンプソンというシンガー&ギタリスト。 ウェスはジョニーのギターソロにカウンターメロディや合いの手を入れてアンサンブルに奥行きをもたらしたり、いつしか覚えてしまった彼のソロをユニゾンでなぞったり、ハーモニーをつけることによ…

続きを読む

クロード・ソーンヒル

マイルス・デイヴィスが『クールの誕生』を制作するにあたって、もっとも参考にしたのがクロード・ソーンヒル・オーケストラだった。 このオーケストラは、最初はダンス・バンドだったが、ギル・エヴァンスが加わったあたりから、モダンで先進的なアレンジを演奏するグループに変貌していった。 特にフレンチ・ホルンを加えたことによってサウンドの佇まいに大幅に変化をもたらした。 マイルスが『クールの…

続きを読む

多芸なトリスターノ

ピアニストのレニー・トリスターノがピアノを本格的に始めたのは20歳前後のこと。 それまでは、クラリネット、サックス、ギター、トランペット、ドラムをやっていた。 【国内盤】レニー・トリスターノ Lennie Tristano / 鬼才トリスターノ

続きを読む

『バードランドの夜』のメンバー

歴史的名盤の『バードランドの夜』。 アート・ブレイキーがリーダーのアルバムということになっているが、バードランドでのライブを録音しようという企画が持ち上がった時点では、ブルーノートに在籍するミュージシャンのオールスターバンドというコンセプトだった。 人選はもちろんアルフレッド・ライオン。 [枚数限定][限定盤]バードランドの夜 Vol.1/アート・ブレイキー[CD]【返…

続きを読む

デトロイト出身のジャズマン

モータウン(モータータウン)のデトロイトからニューヨークにやってきた腕っききのミュージシャンは多い。 トランペットのドナルド・バード、サド・ジョーンズ、 トロンボーンのカーティス・フラー、 ヴィブラフォンのミルト・ジャクソン、 ピアノのトミー・フラナガンやローランド・ハナ、バリー・ハリス、 ギターのケニー・バレル、 ベースのポール・チェンバース、ダグ・ワトキンス、メイジャー・ホリ…

続きを読む

来日したジャズ・メッセンジャーズのサービス精神

1961年にアート・ブレイキー率いるジャズ・メッセンジャーズが初来日を果たした。 当時のメッセンジャーズの音楽性は、すでにモードジャズに移行しつつあったのだが、日本ではまだ『モーニン』が出回り、人気だったことから、演奏ナンバーは『モーニン』のナンバーやテイストを中心に演奏されていた。 メッセンジャーズのサービス精神といったところか。 しかし、これが功を奏してか、《モーニン》がジ…

続きを読む

オーネット・コールマンとジョン・ルイスとレスター・ケーニッヒ

オーネット・コールマンが世に出る契機を作り出したのは、コンテンポラリー・レーベルの社長、 レスター・ケーニッヒに認められたから。 では、なぜ彼がオーネット・コールマンを知ったのかというと、MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)のピアニストがレスターに紹介したため。 オーネットのことを滅茶苦茶だの、音楽じゃないだのと非難する声も多かった当時、ジョン・ルイスは正確に彼の才能を見抜いていたの…

続きを読む

フィル・ウッズの凄まじきパーカー愛

フィル・ウッズはまぎれもなくパーカー派アルティストの一人だったが、彼にとっての心の師匠、チャーリー・パーカーへの敬愛は並大抵のものではなかった。 サックスのプレイ内容のみならず、パーカーの未亡人、チャン・パーカーと結婚してしまったほどなのだから。 パーカーの死後、未亡人チャンの相談にのったり、世話を焼いているうちに、次第に両者が惹かれあうようになたのだという。 Phil…

続きを読む

ジョニ・ミッチェル初来日

ジョニ・ミッチェルの初来日は1983年の3月。 会場のひとつ日本武道館はガラガラだったとか。 ひきつれてきたメンバーは、 ラッセル・フェランテ(key) ラリー・クライン(b) ビリー・コライータ(ds) マイク・ラントー(g)

続きを読む

コルトレーンがソプラノサックスを吹くようになったキッカケ

様々な諸説が流れているが、一般的にメジャーなものを二つばかり。 1、 タクシーに乗ったとき、前の乗客の忘れものがソプラノサックだった。以来、ソプラノサックスが気になって仕方なくなった。 2、 マイルス・デイヴィスが自分のバンドをやめそうになったコルトレーンを引きとめるために、セルマーの最高級のやつをプレゼントした。 ▼あまりに有名なソプラノ初演盤 …

続きを読む

新主流派/メインストリーム・ジャズ

日本で「新主流派」なる称号を発明(?)したのは評論家の岩浪洋三氏。 しかし、その語源となる“ニュー・メイン・ストリート・ジャズ”なる言葉を使ったのは、評論家のアイラ・ギトラーだ。 最初にこの言葉が使われたのは、マイルス・デイヴィスの『マイルス・スマイルズ』のライナーノーツにて。 マイルス・スマイルズ

続きを読む

カメラが趣味だったアート・ブレイキー

ドラマーの故アート・ブレイキーはカメラ集めが趣味だったそうだ。 ハッセルブラッド、ニコン、ライカなどのカメラを収集しており、ツアーに出るときは、これらのカメラ持参で各地を回り、撮影をしていた。 ハード・バップ大学 アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズの天才養成講座

続きを読む

大喰いオルガン奏者 ジミー・スミス

ジミー・スミスの大喰いっぷりは有名な話だが、食べた量を知ると、我々の想像をはるかに超えていることがわかる。 ジャズ評論家・小川隆夫氏が、彼の大食漢っぷりをなにかの雑誌か本に書いていたが、朝食にサンドイッチとスープとドーナツ数個食べ、昼には日本レストランでアペタイザー4~5品目と魚定食、3時のおやつにはインドレストランでタンドーリ・チキン1羽とキーマカレー、夕食はイタリアンレストランでチ…

続きを読む

JATP

JATPとは、Jazz At The Phillharmonic Hallの略。 ノーマン・グランツが1944年にはじめた、人気ジャズミュージシャンやシンガーなど、いわゆるスター級のプレイヤーを集めたショーのことだ。 Norman Granz J.a.T.P. Carnegie Hall 1949 [Impor... In Tokyo: Live 1953 …

続きを読む

アメリカで最初にアルバムを発表した日本人は?

Amazing Toshiko Akiyoshi/秋吉敏子 アメリカで最初にアルバムを発表した日本人は? 正解は秋吉(穐好)敏子。 1953年に日本で録音された音源が、翌年にはノーグランレーベルから『アメイジング・トシコ・アキヨシ』として発売された。 バド・パウエルばりにぐいぐい迫るピアノが魅力のアルバムです。 ▼収録曲 1. 恋とは何でしょう …

続きを読む

ウイントン以外のニューオリンズ出身ジャズマン

1980年代にはいると、フュージョン人気の席巻で、これまで息も絶え絶えだったアコースティック・4ビートが復活したが、これはひとえにウイントン・マルサリスの登場が大きなターニング・ポイントになったことは誰もが知るとおり。 彼は、ニュー・オリンズからニューヨークに進出してきたが、彼の後に続かんとばかりに、彼のみならず多くの後に有名になるプレイヤーがニューオリンズからニューヨークにやってくる…

続きを読む